Wednesday 23 January 2008

一人の老いた上品なキリスト教徒の婦人(ウォレス・スティーヴンズ)

詩とは至高のフィクションです、マダム。
道徳律をもって教会の身廊とし
この身廊からおばけが出る天を作るといい。すると、
意識は椰子の木々に転換されるのだ、
賛美歌を欲しがっている、風の強い貯水槽のように。
私たちは原則では合意していますね。それは明らか。だが
対立する法をもって教会の中庭を作り、
その中庭から惑星群の彼方へと仮面を
投影することだ。こうして、墓碑銘に
よっても浄化されない、私たちの
ついに思いのままふるまうみだらさが、
サクソフォンのように殴り書きしつつ
これもまた椰子の木々に変わる。そしてどの一本の
椰子をとっても、私たちは私たちの始まりの場所にいる。
それなら惑星的場面においては
あなたの心が離れてしまった、たらふく飲み食いした
鞭打ち行者たちが、行列をなして、ふてぶてしい腹を
ぴしゃぴしゃ叩きながら、崇高のそんな目新しい事物を、
そんなティンクとかタンクとかタンカタンタンとかを、
誇るのを許してあげなさい。かれらはあるいは、
ひょっとしたら、マダム、自分自身から鞭で打ち出そう
としているのかもしれない、天空にひびく陽気な空騒ぎを。
これには未亡人たちがいやな顔をするかも。
けれども架空の物事は、そうしたいと思えば目配せをするもの。
未亡人たちが眉をひそめるときもっともよく目配せをする。

(Wallace Stevens, A High-toned Old Christian Woman)