Saturday, 30 August 2008

アントナン・アルトーの手紙から

マルト・ロベールへ

            エスパリオン、一九四六年四月七日。
 親愛なるマルト、
 これほどしばしば書いてはきみをわずらわせることを許してください。けれどもきみは、きみの意識の中にも、雷鳴や稲妻のそれにも似た動揺を感じることがときどきあることに気づいた、といっていました。

 真実をいうなら、事態はもはや正常ではなく、この世界は崩壊しつつあるのです。数々の書物の中でアポカリポスと呼ばれているものは実際はとっくの昔にはじまっているのですが、最後の馬鹿者たちもいつもいて、瀕死の世界がいまなお持ちこたえていると信じようと新聞を発行したりしています。

 意識の中のみならず本物の大気に、一日のうちのある時々に、激震が走るのです。

 その理由は無数の秘密結社が狂熱に浮かされたように意識を攻撃するからであり、意識がそれに応答して、防御しようとするからです。そして私は私の意識に対して加えられた攻撃に絶えまなく反応しており、きみにもそれに反応するよう勧めます。その理由は私がこの混沌を終わらせることのできる力を持っているからですが、地球各地のあらゆる種類の人々があらゆる手段を使って私からその力を奪おうとしています。―――不幸にも私はサンタンヌ病院でのノデ医師の治療中に毒を盛られ、そのとき以来、この計画のためには力不足になっています。治療法はあったのです、青酸の解毒剤になるのはオピウムだったのですが、それを私のところまで持ってきてくれようとした人はすべてオカルト的千里眼により警察に通報され、逮捕されたり暗殺されたりしました。私は一九四四年十月十四日以来アニー・ベナールからの報せをうけとっていないのですが、その日付とは私に薬を持ってきてくれようと彼女がパリを離れた日だということはわかっていて、きみがケ・ブルボン四十五番地で見た人というのは彼女ではなく替え玉だということを、私は確信しています。こうしたことはいつも起こっており、きみもラティウムやエトルリアでの替え玉の歴史を覚えているでしょう。それらの土地でも、替え玉が生きているあいだは、誰もそんなことは信じなかったのです。それがわかるのは百年後。しかしアニーについては、この私にはたったいまからわかっているのです。

 コデインの錠剤いくつかが、事態がおさまるまでさしあたってのあいだ、ときおり呼吸困難をやわらげてくれる代用品となるでしょう。

 それに私は努力してもいます。どのような平面においても、私に関しては、けっして絶望しないでください。
  心からきみの。

               アントナン・アルトー。