カテドラルで、私は腰をおろし、読んだ、
ひとりで、一冊の薄っぺらな雑誌を、そしていった
「地下倉でのこれらの味見は
過去と祭りを対立させている、
カテドラルを超えて、外にあるものは、
婚礼の歌とバランスをとっている。
つまりそれは腰をおろし事物のバランスをとること、
あれにもこれにも静止に達するまで、
ある仮面に関して、のようだということ、
別の仮面に関して、のようだということ、
バランスが完全に落ち着くことはないと、
またどんなに似ていても仮面は奇妙なものだと知ること」
かたちがまちがっているし音は嘘だ。
鐘は雄牛の低い鳴き声だ。
それなのにフランチェスコ会士の先生は
この肥沃な鏡の中で以上に彼自身であったことはない。
(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)