詩とは至高のフィクションです、マダム。
道徳律をもって教会の身廊とし
この身廊からおばけが出る天を作るといい。すると、
意識は椰子の木々に転換されるのだ、
賛美歌を欲しがっている、風の強い貯水槽のように。
私たちは原則では合意していますね。それは明らか。だが
対立する法をもって教会の中庭を作り、
その中庭から惑星群の彼方へと仮面を
投影することだ。こうして、墓碑銘に
よっても浄化されない、私たちの
ついに思いのままふるまうみだらさが、
サクソフォンのように殴り書きしつつ
これもまた椰子の木々に変わる。そしてどの一本の
椰子をとっても、私たちは私たちの始まりの場所にいる。
それなら惑星的場面においては
あなたの心が離れてしまった、たらふく飲み食いした
鞭打ち行者たちが、行列をなして、ふてぶてしい腹を
ぴしゃぴしゃ叩きながら、崇高のそんな目新しい事物を、
そんなティンクとかタンクとかタンカタンタンとかを、
誇るのを許してあげなさい。かれらはあるいは、
ひょっとしたら、マダム、自分自身から鞭で打ち出そう
としているのかもしれない、天空にひびく陽気な空騒ぎを。
これには未亡人たちがいやな顔をするかも。
けれども架空の物事は、そうしたいと思えば目配せをするもの。
未亡人たちが眉をひそめるときもっともよく目配せをする。
(Wallace Stevens, A High-toned Old Christian Woman)