Sunday 20 July 2008

昼食のあとの航海(ウォレス・スティーヴンズ)

そのpejorative(軽蔑的な)という単語が痛いのだ。
私の古い小舟は松葉杖を使ってぐるぐるとめぐり
まともに進もうとしない。
一年のうちのそんな時
一日のうちのそんな時なのだ。

たぶん私たちが食べた昼食
あるいは私たちが食べるべきだった昼食のせいだ。
だが私は、いずれにせよ、
きわめてさい先の良い場所にいる
きわめて似つかわしくない男だ。

神よ、詩人の祈りを聞いてください。
ロマンティックなものはここにあるのでは。
ロマンティックなものはあそこにあるのでは。
それはいたるところになくてはならない。
けれどもロマンティックなものは留まってはいけない、

神よ、そして二度と戻ってきてはならないのだ。
この重い歴史的な航海が
本当に目が回るような舟で
湖のもっともそうあらねばならない青を抜けてゆく
とはまったく気の抜けた偽りだ......

人の目が見るものなど大したものではない。
人が感じる感じ方が肝心なのだ、たとえば
私の精神がいるところに私はいる、ということ
軽い風は帆に心配させる、ということ
きょう水は軽快だ、ということ、

すべての人々を削除し豪奢な
操舵輪の生徒となりそれで
あのかすかな超越性を汚れた帆に与えること、
この光、自分の感じるところでは鋭い白の光の下で、
それから夏の大気を抜けて快活に進んでゆくこと。

(Wallace Stevens, Sailing After Lunch)