スタイジアのこちらに大きな川がある、
最初の黒い瀑布と
樹木らしい知性をもたない樹木のところにやってくる前に。
スタイジアよりずっとこちらにあるその川では、
水の流れそのものが陽気だ、
陽光の中でほとばしり、ほとばしり。その川岸では、
歩く影はいない。川は運命的だ、
最後のあの川のように。だが渡し守はいない。
彼は流れる力にさからって方向を変えることができなかった。
それはそれについて語る外見の下には
見えない。ファーミントンの尖塔が
輝きそびえ立ちハダムがきらめき揺れる。
それは光と空気をもつ第三のありきたりさ、
ひとつのカリキュラム、いきおい、局地的抽象......
それを、いまいちど、ひとつの川と呼べ、名前のない流れだ
空間にみちて、季節を映し、それぞれの
感覚のフォークロアであり、それを呼べ、くりかえし、何度でも、
海のごとくどこにも流れつかないその川を。
(Wallace Stevens, The River of Rivers in Connecticut)