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The Jasmine Lightness
Poetry in translation
Tuesday, 30 September 2008
この広大な世界がたとえ(スティーヴン・クレイン)
この広大な世界がたとえ、
黒い恐怖と、
無限の夜を残して転がり去ったとしても、
おれにとって不可欠なのは
神でも、人でも、しっかりした足場でもない、
もしきみときみの白い両腕があるならば、
そして長い道のりを約束された堕落があるならば。
(Stephen Crane, "Should the wide world roll away")
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About Me
KS
詩の翻訳のブログです。気が向いたとき、ひとときの別の時間を味わってみてください。タイトルはウィリアム・カルロス・ウィリアムズの詩 "To a Solitary Disciple" の末尾のフレーズ からとりました。詩とは何かについては、わが心の友人に代弁してもらうことにします。「そのものに名前はない/笑いと嗚咽のあいだにあって/私たちの内部で動く、/それはわれわれ自身から引き出すしかなく/それは、/私たちの年月のダイアモンド/死んだ樹木の眠りの果てに/白い紙片にやがて星座として輝く。」(ミシェル・レリス「詩?」)2007年12月28日からの1年間は毎日ひとつのペースで更新していました。今年はちょっとのんびり、ときどき更新ということで。
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