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The Jasmine Lightness
Poetry in translation
Thursday, 11 September 2008
ひまわり(エウジェニオ・デ・アンドラーデ)
こんなふうに震える、裸の
光は、ひまわりからしか来ない。
こんな気むずかしい花が私の家に
来てくれてとても誇らしいんだ。
これがあるいは最後の夏だから、
おれの欲望も気楽なものさ。
だが、私はひまわりを誇らしく思う。
まるで自分がその兄弟でもあったかのように。
(Eugénio de Andrade, Os girassóis)
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About Me
KS
詩の翻訳のブログです。気が向いたとき、ひとときの別の時間を味わってみてください。タイトルはウィリアム・カルロス・ウィリアムズの詩 "To a Solitary Disciple" の末尾のフレーズ からとりました。詩とは何かについては、わが心の友人に代弁してもらうことにします。「そのものに名前はない/笑いと嗚咽のあいだにあって/私たちの内部で動く、/それはわれわれ自身から引き出すしかなく/それは、/私たちの年月のダイアモンド/死んだ樹木の眠りの果てに/白い紙片にやがて星座として輝く。」(ミシェル・レリス「詩?」)2007年12月28日からの1年間は毎日ひとつのペースで更新していました。今年はちょっとのんびり、ときどき更新ということで。
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