Friday, 25 January 2008

月光(ギヨーム・アポリネール)

月は流れる蜜となって狂人の唇にふれる
果樹園も村々も今夜は大食いだ
星たちはなかなか上手に蜜蜂を演じている
葡萄棚から滴り落ちる光の蜜を集めて
いま空からやさしく降ってくる
光はそのまま蜜なのだ
ところで身を隠した僕はきわめて甘美な事件を理解する
この北極星という蜜蜂の火の針は恐ろしい
僕の両手に期待はずれの光を持たせ
その月の蜜を風の薔薇(羅針盤)から奪ったのはそいつでした

(Guillaume Apollinaire, Clair de lune)

Thursday, 24 January 2008

フーンの宮殿におけるお茶(ウォレス・スティーヴンズ)

西の日にあなたがもっともさびしい空気と呼ぶものを抜けて
紫の中に私が降りたからといって減じられはしない、
私がより少なく私自身になったわけではなかった。

私の髭にふりかけられた薬は何だったのか?
私の耳のそばでぶんぶん唸る聖歌は何だったのか?
その潮により私が運ばれた海はどの海だったのか?

私の心から出て黄金の薬が雨のように降り注ぎ、
私の耳がかれらが聞いた吹きすさぶ歌を作った。
私自身があの海の羅針盤だった。

私が私の歩く世界であり、私が見たもの
聞いたもの感じたことはただ私自身に由来した。
そしてそこで私は私自身をより真により奇妙な者として見出した。

(Wallace Stevens, Tea at the Palaz of Hoon)

Wednesday, 23 January 2008

手紙(ブレーズ・サンドラール)

きみはいった 手紙をくれるんだったら
ぜんぶタイプライターで打つのはやめて
一行でいいから手で書いて
ひとことだけ どうでもいいことを 大したことじゃなくていい
うん うん うん うん うん うん うん うん

おれのレミントンは だけど立派だよ
おれはこいつが大好きで よく仕事をしてる
できあがる文章もきれいではっきりしてて
誰が見たって おれが打ったんだってわかる

おれだけが知ってる余白の取り方があるんだ
ページにできる目を見てくれよ
でもね きみをよろこばせるためにインクで書くよ
ふたことみこと
それからでっかいインクの染みだ
きみがそいつを読めないように

(Blaise Cendrars, Lettre)

一人の老いた上品なキリスト教徒の婦人(ウォレス・スティーヴンズ)

詩とは至高のフィクションです、マダム。
道徳律をもって教会の身廊とし
この身廊からおばけが出る天を作るといい。すると、
意識は椰子の木々に転換されるのだ、
賛美歌を欲しがっている、風の強い貯水槽のように。
私たちは原則では合意していますね。それは明らか。だが
対立する法をもって教会の中庭を作り、
その中庭から惑星群の彼方へと仮面を
投影することだ。こうして、墓碑銘に
よっても浄化されない、私たちの
ついに思いのままふるまうみだらさが、
サクソフォンのように殴り書きしつつ
これもまた椰子の木々に変わる。そしてどの一本の
椰子をとっても、私たちは私たちの始まりの場所にいる。
それなら惑星的場面においては
あなたの心が離れてしまった、たらふく飲み食いした
鞭打ち行者たちが、行列をなして、ふてぶてしい腹を
ぴしゃぴしゃ叩きながら、崇高のそんな目新しい事物を、
そんなティンクとかタンクとかタンカタンタンとかを、
誇るのを許してあげなさい。かれらはあるいは、
ひょっとしたら、マダム、自分自身から鞭で打ち出そう
としているのかもしれない、天空にひびく陽気な空騒ぎを。
これには未亡人たちがいやな顔をするかも。
けれども架空の物事は、そうしたいと思えば目配せをするもの。
未亡人たちが眉をひそめるときもっともよく目配せをする。

(Wallace Stevens, A High-toned Old Christian Woman)

Tuesday, 22 January 2008

きみは空や海よりも美しい(ブレーズ・サンドラール)

愛しているなら旅立たなくちゃ
妻と別れ 子供と別れ
男ともだちと別れ 女ともだちと別れ
女であれ男であれ 愛人と別れ
愛しているなら旅立たなくちゃ

世界は黒人男と黒人女でいっぱいだ
女たち 男たち 男たち 女たち
ごらんすてきな店を
この馬車 この男 この女 この馬車
そしてすべての美しい商品を

空気がある 風が吹く
山々 水 空 大地
子供たち 動物たち
植物 そして泥炭

学べよ 売ること買うことまた売ることを
与え 奪い 与え 奪い
愛しているなら旅立たなくちゃ
歌い 走り 食い 飲み
口笛を吹き
そして働くことを学ぶ

愛しているなら旅立たなくちゃ
ほほえみながら泣くのはよせよ
二つの乳房の谷間に巣を作るのはよせ
呼吸し 歩き 出発だ さあ行け

おれは風呂に入り それから見つめる
見えるのは おれがよく知っている口
手 脚 「目」
おれは風呂に入り それから見つめる

世界はそっくりいつもそこにある
人生は驚くべき物事にみちている
おれは薬局から外に出る
いま体重計から降りたところだ
たっぷり80キロのおれ
きみを愛してる

(Blaise Cendrars, Tu es plus belle que le ciel et la mer)

百姓年代記(ウォレス・スティーヴンズ)

偉人とは何だ? すべての人間は勇敢だ。
すべての人間が忍耐する。偉大な船長といっても
偶然に選ばれた者でしかない。結局、もっとも荘厳な埋葬
とは百姓年代記。
        人は他人により賞讃
されるために生きる、したがってすべての人間は
すべての人間に賞讃されるために生きる。諸民族は
諸民族により賞讃されるために生きる。人種は勇敢だ。
人種は忍耐する。人種の葬儀の壮麗は
個々の壮麗を多数集めたものであり
人類の年代記とは
百姓年代記の総和なのだ。
        偉人たちーー
それはちがう話。かれらは現実によって構成
されながらも現実を超えた人々だ。かれらは
人間から作られた架空の人物なのだ。
かれらも人間だが人工的な人間だ。かれらは
無であり、それを信じること
などできず、ありきたりな主人公より、もっともモリエール
らしい神話としてのタルチュフより以上のものであり、
安易な投影はとっくに禁止されている。

バロック詩人は彼のことをウェルギリウスとおなじ
くらい不動の人と見るかもしれない、抽象的な。
だが自分で彼を見てごらんなさい、あの架空の人物を。彼は
カフェにすわっているかもしれない。テーブルには田舎風チーズと
パイナップルの皿があるかもしれない。きっとそうにちがいない。

(Wallace Stevens, Paisant Chronicle)

さよなら(ギヨーム・アポリネール)

このヒースのひと茎を摘みとった
秋は死んだよ 覚えてるだろう
おれたちはもう地上で会うことがない
時の匂い ヒースの茎
思い出してくれ おれが待っていることを

(Guillaume Apollinaire, L'adieu)