Saturday 30 August 2008

アントナン・アルトーの手紙から

マルト・ロベールへ

            エスパリオン、一九四六年四月七日。
 親愛なるマルト、
 これほどしばしば書いてはきみをわずらわせることを許してください。けれどもきみは、きみの意識の中にも、雷鳴や稲妻のそれにも似た動揺を感じることがときどきあることに気づいた、といっていました。

 真実をいうなら、事態はもはや正常ではなく、この世界は崩壊しつつあるのです。数々の書物の中でアポカリポスと呼ばれているものは実際はとっくの昔にはじまっているのですが、最後の馬鹿者たちもいつもいて、瀕死の世界がいまなお持ちこたえていると信じようと新聞を発行したりしています。

 意識の中のみならず本物の大気に、一日のうちのある時々に、激震が走るのです。

 その理由は無数の秘密結社が狂熱に浮かされたように意識を攻撃するからであり、意識がそれに応答して、防御しようとするからです。そして私は私の意識に対して加えられた攻撃に絶えまなく反応しており、きみにもそれに反応するよう勧めます。その理由は私がこの混沌を終わらせることのできる力を持っているからですが、地球各地のあらゆる種類の人々があらゆる手段を使って私からその力を奪おうとしています。―――不幸にも私はサンタンヌ病院でのノデ医師の治療中に毒を盛られ、そのとき以来、この計画のためには力不足になっています。治療法はあったのです、青酸の解毒剤になるのはオピウムだったのですが、それを私のところまで持ってきてくれようとした人はすべてオカルト的千里眼により警察に通報され、逮捕されたり暗殺されたりしました。私は一九四四年十月十四日以来アニー・ベナールからの報せをうけとっていないのですが、その日付とは私に薬を持ってきてくれようと彼女がパリを離れた日だということはわかっていて、きみがケ・ブルボン四十五番地で見た人というのは彼女ではなく替え玉だということを、私は確信しています。こうしたことはいつも起こっており、きみもラティウムやエトルリアでの替え玉の歴史を覚えているでしょう。それらの土地でも、替え玉が生きているあいだは、誰もそんなことは信じなかったのです。それがわかるのは百年後。しかしアニーについては、この私にはたったいまからわかっているのです。

 コデインの錠剤いくつかが、事態がおさまるまでさしあたってのあいだ、ときおり呼吸困難をやわらげてくれる代用品となるでしょう。

 それに私は努力してもいます。どのような平面においても、私に関しては、けっして絶望しないでください。
  心からきみの。

               アントナン・アルトー。

Thursday 28 August 2008

キューバ人の医者(ウォレス・スティーヴンズ)

私はインド人から逃れるためにエジプトに行った、
だがインド人は彼の雲
彼の空から打ちかかってきた。

これは月で育てられた虫ではない、
幽霊的空気から遠くもぞもぞと降りてくる虫、
居心地のよいソファで夢見られるような。

インド人は打ちかかってきて姿を消した。
敵がそばにいることを私は知っていたーー私、
夏のひどく眠たい角笛の中でまどろんで。

(Wallace Stevens, The Cuban Doctor)

飛行家の墜落(ウォレス・スティーヴンズ)

この男は汚れた運命を逃れた、
自分は高貴な死に方をしたと知りつつ、たしかにそんな死だった。

人間の死後の暗闇、無が、
空間の深みの中に彼を受け入れ、そこに留めた----

そこはprofundium、肉体の雷、信仰をもたぬまま
信仰を超えて、私たちが信じている次元。

(Wallace Stevens, Flyer's Fall)

ポーランド人の伯母との会談(ウォレス・スティーヴンズ)

       彼女は天国(パラディ)のすべての伝説
       とポーランド(ポローニュ)のすべての
       民話を知っていた。
                「両世界通信」

      彼女
ヴォラギーネに出てくる私の聖者さまたちが、
あの刺繍のあるスリッパをはいて、おまえの憂鬱にふれるとはどういうこと?

      彼
老いたパンタローネ(道化)たち、春の女将!

      彼女
想像力とは事物の意志......
こうして、ありふれた働き手にもとづいて、
おまえは藍をまとった女たちを夢見るのね、
燃える秘密を、ひそかに、読むために
より近くある星々にむかって書物を掲げている彼女らを。

(Wallace Stevens, Colloquy With a Polish Aunt)

風が変わる(ウォレス・スティーヴンズ)

こんなふうに風が変わるのだ。
いまでも熱心に
そして絶望的に考えている
老いた人間の思考のように。
こんなふうに風が変わるのだ。
いまでも自分の中に非合理的なものを感じている、
幻想をもたない女のように。
こんなふうに風が変わるのだ。
誇らかに接近する人間たちのように、
怒りつつ接近する人間たちのように。
こんなふうに風が変わるのだ。
重くて、沈鬱で、
どうなってもいいと思っている人間のように。

(Wallace Stevens, The Wind Shifts)

Wednesday 27 August 2008

泥の達人(ウォレス・スティーヴンズ)

春の泥水の川が
歯をむきだして唸っている
泥の空の下で。
心が泥だ。

それなのに、心にとって、ふくらむ
緑の新しい土手は
そうでない。

黄金の空の側では
そうでない。
心が唸る。

ピッカニーン(黒んぼの子供)のうちいちばん黒いやつ、
そいつが泥の達人です。
光の筋が
遠くで、空から地へと降っているが、
それがそいつだ----

桃のつぼみの作り手、
泥の達人、
心の達人。

(Wallace Stevens, Mud Master)

青いギターをもった男33(ウォレス・スティーヴンズ)

泥の中におとしめられたあの世代の
夢は、月曜日の汚れた光の中で、

その通り、かれらが知っている唯一の夢は、
最終ブロックにある時間、やがて

来るべき時間ではなく、二つの夢の言い争いではなく。
ここにあるのは来るべき時間のパン、

これがその現実の石。そのパンが
われわれのパンとなるだろう、石が

夜になればわれわれが眠るわれわれのベッドとなるだろう。
昼になれば忘れてしまうだろう、覚えているのは

われわれが演奏することを選ぶときだけだ、
想像の松を、想像のカケスを。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男32(ウォレス・スティーヴンズ)

光は、定義は、どれも投げ捨てろ、
そしてきみが暗闇に見るものに関していえばいいさ

それはこれだとかそれはあれだとか、
だが腐った名前は使わないこと。

なぜきみはあの空間の中を歩いて
空間の狂気について何も知らず、

そのふざけた生殖について何も知らずにいられるのか?
光なんかぜんぶ捨てろ。きみと

かたちの殻が破壊されたとききみがとる
かたちのあいだに邪魔物は入れるべきでない。

きみとしてのきみ? きみはきみ自身だ。
青いギターはきみを驚かす。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

Tuesday 26 August 2008

青いギターをもった男31(ウォレス・スティーヴンズ)

雉子はどれだけ長く、いつまで眠るんだ......
雇い主と雇われ人がかれらの

滑稽な仕事を争い、戦い、構成する。
泡立つ太陽は泡を出して、

春が火花を散らし雄鶏が金切り声を出す。
雇い主と雇われ人は耳にして

かれらの仕事を続ける。その金切り声が
小薮をゆさぶる。居場所がない、

ここには、空の博物館で、
心に打ちつけられた雲雀には。雄鶏が

かぎ爪で摑まって眠るだろう。朝とは太陽のことではない、
神経のこんな姿勢のことだ、

あたかも腕の鈍った弾き手が青いギターの
いろんなニュアンスを把握したように。

それはこのラプソディであるか、あるいは無だ、
あるがままの事物のラプソディ。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男30(ウォレス・スティーヴンズ)

これから私は人間を進化させる。
これが人間の本質だ。古い腕人形(ファントッシュ)なのだ。

風に自分のショールをかけている、
まるで舞台上にいる何かみたいに、頬をふくらませ、

彼の気取った歩きぶりは何世紀にもわたって研究されてきた。
そしてついに、彼の物腰にもかかわらず、彼の目は

重い電線を支える電柱の
横木に止まり、Oxidiaという

ありふれた郊外を投げ捨てた。
分割払いは半分支払済み。

朝露をはずませる受け狙いの演技が
機械の上のぞんざいな山から炎を噴いている。

見よ(ecce)、Oxidiaとはこの
琥珀色の燃えさしみたいなさやからこぼれた種子にすぎない、

Oxidiaとは火の煤のこと、
Oxidiaとはオリンピア。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

Monday 25 August 2008

青いギターをもった男29(ウォレス・スティーヴンズ)

カテドラルで、私は腰をおろし、読んだ、
ひとりで、一冊の薄っぺらな雑誌を、そしていった

「地下倉でのこれらの味見は
過去と祭りを対立させている、

カテドラルを超えて、外にあるものは、
婚礼の歌とバランスをとっている。

つまりそれは腰をおろし事物のバランスをとること、
あれにもこれにも静止に達するまで、

ある仮面に関して、のようだということ、
別の仮面に関して、のようだということ、

バランスが完全に落ち着くことはないと、
またどんなに似ていても仮面は奇妙なものだと知ること」

かたちがまちがっているし音は嘘だ。
鐘は雄牛の低い鳴き声だ。

それなのにフランチェスコ会士の先生は
この肥沃な鏡の中で以上に彼自身であったことはない。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男28(ウォレス・スティーヴンズ)

私はこの世界の土着民で
その中で土着民らしい考え方をする、

ジェズ、私が自分のものと呼ぶような
思考を考えているような心の土着民ではない、

土着民、この世界の土着民であって
土着民のようにその中で考える。

それは心であるはずがない、水っぽい草が
その中を流れてゆきながらも一枚の

写真のように固定されているそんな波、
その中で枯れた木の葉が吹かれているような風。

ここで私はより深い力を吸いこみ
私自身として、私は語り動き

すると事物は私がそうであると思うとおりの事物であって
私がいうとおりに青いギターの上にある。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男27(ウォレス・スティーヴンズ)

海が屋根を白くするのだ。
海は冬の空気の中を漂ってゆく。

北風が作るのは海だ。
海は降る雪の中にある。

この暗闇は海の暗さだ。
地理学者たちよ哲学者たちよ、

よくごらん。あの塩のカップがなければ、
軒についた小さなつららがなければ----

海など嘲笑の一形式にすぎない。
氷山の背景が諷刺するのは

自分自身になれない悪魔であり、
そいつは旅しているのだ、変化する風景を変化させるため。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男26(ウォレス・スティーヴンズ)

彼の想像力に洗われた世界、
世界は海辺だった、音なのか形なのか

それとも光、いくつもの別れの遺物、
岩、別れのこだまの、

それにむかって彼の想像力が帰還し、
そこからそれが急いで立ち去った、空中の砂州として、

砂は雲のうちに盛り上がり、殺人的な
アルファベットと戦う巨人だった。

思考の、接近不可能な
ユートピアの夢の群れ、

山のような音楽はいつも
落下し過ぎ去ってゆくところだと見えた。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男25(ウォレス・スティーヴンズ)

彼は世界を彼の鼻の上に載せ
そしてこんなふうにして彼は投げ捨てた。

彼の衣裳と象徴ときたら、あいやいやい----
そしてそんなふうにして彼は世界をくるりと回した。

樅の木のように暗く、液体の猫たちが
音を立てずに草の中で動いた。

草がぐるりと回っていることをかれらは知らなかった。
猫は猫を捕らえ草は灰色になり

世界は、あい、こんなふうに、諸世界を捕らえた。
草は緑になり草は灰色になった。

そして鼻は、あんなふうに永遠なのだ。
あるがままの事物、あるがままの事物、

いつかしだいにそうなるであろうがままの事物......
一本の太い親指があいやいやいと拍子をとる。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男24(ウォレス・スティーヴンズ)

泥の中に見つかったミサ典書
のようなひとつの詩、あの若者のためのミサ典書、

あの本に対してひどく飢えているあの学者、
あの本そのもの、というか、むしろ一ページに、

というか少なくともひとつの句、あの句に、
人生の鷹、ああのラテン語化された句に。

知るために。じっと考えこむ目つきのためのミサ典書を。
あの鷹の目に直面し、その目にではなく

直面がもたらすよろこびに後ずさりすること。
私はふざけているさ。だがこれが私が考えていることなのだ。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

Sunday 24 August 2008

青いギターをもった男23(ウォレス・スティーヴンズ)

いくつかの最終的解決、葬儀屋との
デュエットみたいに。雲の中の声、

地上のもうひとつの声、一方はエーテルの
声で、もう一方はどうも酒の匂いがし、

エーテルの声のほうが優位で、雪の中の
葬儀屋の歌のうねりが

花環に呼びかけ、雲の中の
声は晴朗で最終的で、ついで

豚のうなるような息も晴朗で最終的で、
想像と現実とか、思考と

真理とか、詩(Dichtung)と真実(Wahrheit)とか、
すべての混乱が解決する、ちょうど

あるがままの事物の本性をめぐって
年ごとに演奏しつづけるリフレインにおけるがごとく。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男22(ウォレス・スティーヴンズ)

詩が詩作の主題、
ここから詩作が出発して

ここに帰ってゆく。両者のあいだに、
出発と帰還のあいだに、あるのは

現実におけるある不在、
あるがままの事物。とわれわれはいうわけだ。

だが両者は別々のものなのか? それは
詩作にとって不在なのか、詩作が

その真の外見をそこで獲得するのに、太陽の緑と、
雲の赤と、感じる大地と、思考する空から?

こうしたものからそれは得る。おそらくそれは与える、
普遍的な交流において。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男21(ウォレス・スティーヴンズ)

すべての神々の代替物だ。
この自己、あの超然とした黄金の自己でなく、

孤独で、拡大された自分の影であり、
身体の主として見下ろしている、

今もそうしているように、そして声高に呼ぶ、
より広大な天空においてチョコルアの影を、

超然とし、孤独な。土地とその土地に住む
人々の主なのだ、至高の主、
自分の自己であり自分の土地の山々だ、

影もなく、壮麗でもなく、
肉と、骨と、土と、石。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

Monday 18 August 2008

青いギターをもった男20(ウォレス・スティーヴンズ)

人生に何があるのだろう、人の想念と、
良い空気、良い友人を除けば人生に何がある?

私が信じているのは想念なのですか?
良い空気、私の唯一の友人、believe

Believeこそが愛にみちた
兄弟であるだろう、believeこそ友人だろう、

私の唯一の友人である良い空気以上に
友好的な、哀れな青ざめた、哀れな青ざめたギター......

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男19(ウォレス・スティーヴンズ)

その怪物を私自身へと還元し
なお怪物に対面しつつ

私自身であれるならいい、その一部分
以上のものとして、その怪物的なリュートの

ひとつの怪物的な奏者以上のものとして、
ひとりではなく、怪物を還元した上で

二つの物となるのだ、二つが一緒になってひとつとなり、
怪物と私自身のことを奏でる、

あるいは私のことなどぜんぜんふれないほうがいい、
そうではなくてそれ自身の知性のことを、

その知性とはライオンが石に封じこめられる前の
リュートの中のライオン。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男18(ウォレス・スティーヴンズ)

対象と対面しつつ私が
信じることができるある夢(それを夢と呼ぶとして)、

もはや夢ではない夢、一個のもの、
ありのままの事物の、ちょうど青いギターが

ある夜、長らくつまびかれたのち
手ではなく感覚のタッチを出すように、

それは感覚がwind-glossに
ふれるときの感覚そのものだ。あるいは日の光が、

崖に反射する光のように、
exの海から立ち上がってくるときのような。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男17(ウォレス・スティーヴンズ)

人には鋳型がある。だがその
動物的部分ではない。天使的な者たちは

魂の、心の話をする。それは
動物だ。青いギター----

その上でその爪が提案し、その牙が
その荒んだ日々をきちんと発音する。

青いギターが鋳型なのか? あの殻が?
まあね、結局、北風が

角笛を鳴らし、その上で、その勝利は
一本の麦わらを使って作曲する一匹の毛虫。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男16(ウォレス・スティーヴンズ)

地球は地球ではなく一個の石だ、
落ちてゆく男たちを捕らえてくれる母親でなく

石だ、だが石のようにそうなのではない。母では
ないのだが抑圧者であり、生きている

者が生きているからといってうらやむのと
おなじく、かれらの死をうらやむような抑圧者だ。

戦いの中で生きること、戦って生きること、
不機嫌なプサルテリウム(中世の弦楽器)を叩き切ること、

イェルサレムの下水道を改良すること、
雨雲に電気を与えること----

祭壇に蜂蜜を置いて死になさい、
心には苦いものがある恋人たちよ。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男15(ウォレス・スティーヴンズ)

ピカソのこの絵、この「破壊の
蓄積」、われわれ自身の絵、

いったいこれはわれわれの社会のイメージか?
ここで私は、裸の卵として歪形され

秋の満月への別れを捉えているのか
収穫も月も見ぬままに?

ありのままの事物は破壊されてしまった。
私が? 私は料理が冷めて

しまった食卓で死んでいる男?
私の思想とは記憶にすぎず、生きているものではないのか?

床の、ほらそこにある染みはワインか血か
そのいずれであれ、それは私のものなのか?

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

Sunday 17 August 2008

青いギターをもった男14(ウォレス・スティーヴンズ)

はじめひとすじの光線、ついでもうひとつ、それから
千のそれが空にひろがってゆく。

ひとつひとつが星にして大地であり、日とは
それらの大気の富にほかならない。

海はそのぼろきれみたいな色を貼りつけている。
海岸はつつむような霧の土手だ。

まるでドイツのシャンデリアだといいたくなる----
一本のろうそくで世界を照らすには十分だ。

それがそれを明瞭にする。正午にすら
それは本質的な暗闇の中できらめく。

夜には、それは果物とワインを照らす、
本とパンを、ありのままの事物を、

人が腰を下ろして青いギターを弾いている
キアロスクーロの中で。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男13(ウォレス・スティーヴンズ)

青への青ざめた侵入は
腐敗させる蒼白さだ......あい、まったく、

青いつぼみか真黒な花だ。満足せよ----
拡張とか、分散とか-----ただ

汚れのついていない愚かな夢想であることに満足せよ、
青の世界の先触れ的な

中心であることに、百の顎ですべらかな青の
恋愛主義(amorist) の「形容詞」が燃え立つ......

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

Saturday 16 August 2008

青いギターをもった男12(ウォレス・スティーヴンズ)

トムトム、それは私(C'est moi)。青いギターと
私はひとつだ。オーケストラは

ホール自体とおなじくらい背が高い
シャッフルする男たちがホールをみたす。群衆の

混乱をきわめた雑音が低くなり、すべてが語られる、
夜、目覚めたまま横たわっている彼の息に。

私はあの臆病な呼吸を知っている。どこで
私がはじまり終わるのか? そしてどこで

そのものをつまびきながら、私は手に入れるのか
私ではないと勿体ぶって宣言しながらも

たしかに私たちにちがいないものを。
それは他の何物でもありえないじゃないか。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男11(ウォレス・スティーヴンズ)

ゆっくりと石の上のツタが
石になってゆく。女たちは

都市となり、子供たちは野原となり
波の中の男たちは海となる。

和音が偽造するのだ。
海は男たちの上に回帰し、

野原は子供たちを罠にかけ、煉瓦は
草でありすべての蠅たちは捕らえられ、

羽をむしられ萎れながらも元気に生きている。
不協和音はただ増幅させる。

腹の時の暗闇の中の、より
深いところで、時は岩の上で成長する。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男10(ウォレス・スティーヴンズ)

ひどく赤い円柱を立てなさい。鐘を鳴らし
錫がつまったくぼみを叩いてみなさい。

書類を街路に投げ出しなさい、死者の
遺言だ、立派な封印がされている。

それから美しいトロンボーン----見よ
誰にも信じられない者の接近を、

全員が信じていると全員が信じている者、
つやつやの車に乗った一人の異教徒を。

青いギターの上でドラムをどろどろと鳴らせ。
尖塔から身を乗り出してごらん。大声でいえ、

「私はここだ、わが敵対者よ、きみ
と対決しに来たぞ、みごとなトロンボーンを吹きながら、

けれども心にはちっぽけな惨めさ、
ちっぽけな惨めさ、

きみの終焉への序曲、
触れれば人々も岩もぐらぐら倒れそうになる」

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男9(ウォレス・スティーヴンズ)

そしてその色、空気をすっぽりと包む
青、その中で青いギターは

一個のかたちであり、なんとかやっと描写されていて、
私はただ矢のような、静止した弦の上に

かがみこんでいる影にすぎない、
まだこれから作られるべき物の作り手だ。

あるムードから成長する思想に
似た色彩、俳優の

悲劇的な衣裳、半分は彼の仕草で
半分は彼の台詞で、それは彼の意味のドレス、彼の

メランコリーの言葉に濡れた絹、
彼の舞台の天候、彼自身。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男8(ウォレス・スティーヴンズ)

いきいきとして、華麗で、ふくらんだ空、
どしゃ降りをもたらす雷がごろごろと過ぎてゆく、

朝はまだ夜に浸されていて、
雲はすべて騒擾にみちた明るさ

そして冷たい和音を重く抱く感情が
熱烈な合唱めざして闘争し、

雲のあいまで悲鳴をあげる、空中の
黄金の敵対者たちに怒り狂って----

わかっているさ、私の怠惰で、重苦しいじゃらんは
嵐の中の理性のようなものだと。

それなのにそれは嵐にがまんさせる。
私はそれをじゃらんと鳴らしそこに置き去りにする。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男7(ウォレス・スティーヴンズ)

私たちの仕事を分担してくれるのは太陽だ。
月は何にもしない。それは海でしかない。

いつ私は太陽についていうことになるだろう、
それは海でしかない、と。何にもしない、と。

太陽はもはやわれわれの仕事を分担せず
地球は這い回る人間でざわめいている、

けっして十分に熱のない機械仕掛けのかぶと虫で?
そしてそのとき私は太陽の中に立つのだろうか、いま

こうして月の中に立っているように、そしてそれを良きことと呼ぶのか
われわれからも、ありのままの事物からも離れた

無垢で、慈悲深き良きことと?
太陽の一部にならないことが? 遠く離れて

立ちそれを慈悲深いと呼ぶことが?
青いギターの弦は冷たいままだ。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

Friday 1 August 2008

青いギターをもった男6(ウォレス・スティーヴンズ)

ありのままの私たちである私たちを超えた曲、
でも青いギターによっては何も変わっていない。

私たちはその曲の中に空中にいるようにいる、
だが何も変わっていない、ありのままの

事物の位置を除いては、そして位置というのは
きみが青いギターで事物を奏でるかぎりにおいての

位置だから、変化のコンパスを超えて、
最終的大気の中で知覚されたもの。

しばしのあいだ最終的なのだ、芸術という
思考が最終的だと見えるように、

神の思考が煙る朝霧であるのに対して。
曲は空間だ。青いギターは

ありのままの事物の場所となる、それは
ギターの諸感覚が作るもの。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男5(ウォレス・スティーヴンズ)

私たちにむかって詩の偉大さを語るな、
地下で束になったたいまつのことや、

光の尖端にある丸屋根の構造のことを。
私たちの太陽には影がなく、

昼は欲望で夜は眠りだ。
影はどこにもない。

大地は、私たちにとって、平坦で裸。
影なんかない。詩

は音楽を超えたものとして空っぽな
天とその讃美歌の場所を奪わなくてはならない、

詩にいる私たち自身がその場所を奪わなくてはならない、
きみのギターのおしゃべりの中でさえ。

(Wallece Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男4(ウォレス・スティーヴンズ)

だったらそれが人生なんだ。ありのままの事物が?
人生は青いギターの上に道を見出す。

ひとつの弦の上に百万人の人々?
そしてかれらのマナーのすべてがその物の中にあるのか、

そしてかれらのマナーのすべてが、正しかろうがまちがっていようが、
そしてかれらのマナーのすべてが、弱かろうが強かろうが?

いろんな感情が狂ったように、狡猾に呼びかける、
秋の大気中の蠅のブーンという羽音みたいに、

だったら、それが人生なんだ。ありのままの事物が、
青いギターのこのブーンという羽音が。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)