Thursday 31 July 2008

青いギターをもつ男3(ウォレス・スティーヴンズ)

ああ、だが第1番の人間が演じることは、
彼の心臓に短刀をつきさすこと、

彼の脳を板の上に置き
舌を刺す色を取り除いてゆくこと、

彼の思想を扉に打ちつけ、
その翼をひろげさせて雨や雪にさらすこと、

彼の生きたハイやホーを打ち、
それをtickし、tockし、現実にし、

野蛮な青からそれを叩き出すことだ、
弦の鋼をじゃらじゃらと鳴らして。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男2(ウォレス・スティーヴンズ)

私は世界をまったく丸くすることができない、
できるかぎりとりつくろってみようとするのだが。

私は英雄の顔を歌う、大きな眼
と髭をもつブロンズ像を、だが人間ではない、

できるかぎり彼をとりつくろってみようとするものの
そして彼を通してほとんど人間に届こうとするものの。

ほとんど人間にむかってセレナーデを歌うことが
そうすることで、ありのままの事物を失うことだとしたら、

だったらいってやれ、それは青いギターを
弾く男のセレナーデなのだと。

(Wallce Stevens, The Man With the Blue Guitar)

青いギターをもった男1(ウォレス・スティーヴンズ)

男がギターにかがみこんでいる。
刈り手みたいなものか。日は緑。

かれらがいった、「きみは青いギターをもっているね、
きみは事物をありのままに演奏しない」

男は答えた、「ありのままの事物が
青いギターにかかると変わるんだ」

するとかれらがいった、「だがおまえは奏でなくては
ならない、われわれを超え、なおわれわれ自身であるような曲を」

それは青いギターが奏でる
まさにありのままの事物。

(Wallace Stevens, The Man With the Blue Guitar)

Tuesday 29 July 2008

つまらない死の商人(ウォレス・スティーヴンズ)

石壁のそばにいる二人は
死のくだらない一部だ。
草はまだ緑。

けれども完全な死、
破滅、ひどく高くかつ
深い死があって、すべての表面をおおい、
心をみたす。

ここにいるのは死の小さな町民たち、
ひとりの男とひとりの女で、木に
しがみつく二枚の木の葉のようだ、
冬が凍りつき黒く成長する前にーー

ひどく高くかつ深く
何の感情もなく、しずけさの領分として、
そこではやつれはてた人影が、一個の楽器をもって、
空白の最後の音楽を提供している。

(Wallace Stevens, Burghers of Petty Death)

ある特定者の経過(ウォレス・スティーヴンズ)

きょうは木の葉が鳴く、風に吹かれる枝にぶら下がって、
けれども冬の無は少しだけ少なくなった。
それはまだ凍った陰や固い雪でいっぱいだが。

木の葉が鳴く......人はただ離れてその悲鳴を聞くだけ。
それは誰か別の人を求めてのせわしない悲鳴だ。
そしてたとえ自分はすべてのものの一部だといってはみても、

そこには葛藤があり、それなりの抵抗がある。
そして一部であることは、しだいに衰える力の行使。
感じるのは生命をそのものとして与えるものの生命。

木の葉が鳴く。それは神が注意しているような鳴き声ではなく、
吹き消された英雄たちの名残る煙でも、人間の悲鳴でもない。
それはみずからを超越することのない悲鳴。

ファンタジアの不在において、空気の最終的発見の中、
物自体の中にある以上の意味はなく、
やがて、ついには、その悲鳴は誰にも関わりがなくなるのだ。

(Wallace Stevens, The Course of a Particular)

Wednesday 23 July 2008

ふたつの梨の習作(ウォレス・スティーヴンズ)

I
Opusculum paedagogum.
梨はヴァイオルではない、
ヌードでも瓶でも。
それは他の何にも似ていない。

II
それは黄色いかたちで
曲線でできていて
下の方がふくらんでいる

III
それは曲線の輪郭をもつ
平らな表面ではない。
まるくて
上にむかうにつれて細くなる。

IV
それはところどころ青が入るように
できている。
一枚の硬く乾いた葉が
茎からぶらさがっている。

V
黄色がきらめく。
さまざまな黄色をもってきらめく、
レモン色、オレンジ色、緑
果皮の上に花ひらく。

VI
梨の影は
緑の布の上のしみ。
梨は見る者がそう望む
ようには見られない。

(Wallace Stevens, Study of Two Pears)

Tuesday 22 July 2008

ギターを欠いた別れ(ウォレス・スティーヴンズ)

春の明るい楽園がこういうことになった。
いまでは千の葉をもつ緑が地面に落ちている。
さようなら、私の日々。

千の葉をもつ赤が
この光の雷鳴となった
秋の終着とともにーー

スペインの嵐だ、
広大でしずかなアラゴン風の、
その中を馬が乗り手なく家にむかって歩く、

頭を下げて。反映と反復、
かつて乗り手だった者の
鞭や新鮮な感覚の打撃は

それだけで最終的な建築なのだ、
ガラスと太陽のように、男性的現実の
そしてあの他の人と彼女の欲望の。

(Wallace Stevens, Farewell Without a Guitar)

Sunday 20 July 2008

昼食のあとの航海(ウォレス・スティーヴンズ)

そのpejorative(軽蔑的な)という単語が痛いのだ。
私の古い小舟は松葉杖を使ってぐるぐるとめぐり
まともに進もうとしない。
一年のうちのそんな時
一日のうちのそんな時なのだ。

たぶん私たちが食べた昼食
あるいは私たちが食べるべきだった昼食のせいだ。
だが私は、いずれにせよ、
きわめてさい先の良い場所にいる
きわめて似つかわしくない男だ。

神よ、詩人の祈りを聞いてください。
ロマンティックなものはここにあるのでは。
ロマンティックなものはあそこにあるのでは。
それはいたるところになくてはならない。
けれどもロマンティックなものは留まってはいけない、

神よ、そして二度と戻ってきてはならないのだ。
この重い歴史的な航海が
本当に目が回るような舟で
湖のもっともそうあらねばならない青を抜けてゆく
とはまったく気の抜けた偽りだ......

人の目が見るものなど大したものではない。
人が感じる感じ方が肝心なのだ、たとえば
私の精神がいるところに私はいる、ということ
軽い風は帆に心配させる、ということ
きょう水は軽快だ、ということ、

すべての人々を削除し豪奢な
操舵輪の生徒となりそれで
あのかすかな超越性を汚れた帆に与えること、
この光、自分の感じるところでは鋭い白の光の下で、
それから夏の大気を抜けて快活に進んでゆくこと。

(Wallace Stevens, Sailing After Lunch)

Saturday 19 July 2008

天体に似た原始人12(ウォレス・スティーヴンズ)

そうだ。恋する者は書く、信ずる者は聞く、
詩人はつぶやき画家は見る、
それぞれが、自分の運命的奇矯さを、
部分として、だが部分にすぎず、だが頑固な素粒子として、
エーテルの骸骨の、文芸と、予言と、
知覚と、色彩のかたまりの全体の、
無の巨人だ、ひとりひとりが、
それも絶えず変化する、変化のうちに生きている巨人。

(Wallace Stevens, A Primitive Like an Orb)

Friday 18 July 2008

天体に似た原始人11(ウォレス・スティーヴンズ)

ここにあるのは、したがって、頭を与えられた抽象だ、
地平線上のひとりの巨人、両腕を与えられて、
巨大な胴体と長い両脚、ゆったりと延ばし、
図解のある定義、けっして非常に正確に
ラベルがつけられているわけではなく、
その小さな姿たちのあいだでひとつだけ大きく、密着した、
親のような大きさで、地平線の中央に、concentrum に、
いかめしく、驚くべき人としてそこにいる、諸起源の守護者。

(Wallace Stevens, A Primitive Like an Orb)

天体に似た原始人10(ウォレス・スティーヴンズ)

それは巨人なのだ、つねに、縮尺上
進化するのは、美徳が彼を切りつめないかぎり、
大きさと孤独をちょきんと切る、そうすると考えないかぎり、
まるでマントルピース上の一枚の署名入り写真のように。
けれどもこのvirtuoso(達人)はけっして彼自身のかたちを
去ることがなく、なお地平線上で彼の姿を引き延ばし、
なおも天使的でなおも豊富で、
彼の姿の力により力を押しつけてくる。

(Wallace Stevens, A Primitive Like an Orb)

Thursday 17 July 2008

天体に似た原始人9(ウォレス・スティーヴンズ)

そして眩い美点に飾られ、すべての
気前のよい見慣れた火を頭に飾り、
そして見慣れぬ冒険をし、子供たちが好むような
ぶーんという音やぱちぱちじりじり焼ける音を出し、
至高のまじめな襞を身にまとい、
周囲を背後を動きまわるのだ、従者のように
目にはトランペットを鳴らす熾天使の源泉、
耳には快い爆発の源泉、

(Wallace Stevens, A Primitive Like an Orb)

天体に似た原始人8(ウォレス・スティーヴンズ)

それはある高みにおいて飛翔し、
ひとつのvis(力)、ひとつの原理、あるいは
原理をめぐる瞑想となる、
あるいはそれ自身であろうと活動的な
内在的秩序、そこの土着民にとってはすべて
恩恵、やすらぎ、最高のやすらぎであるような自然、
敏捷に感じとられる磁石の筋肉、
ひとりの巨人、地平線上に、きらめいて、

(Wallace Stevens, A Primitive Like an Orb)

天体に似た原始人7(ウォレス・スティーヴンズ)

中心的な詩は全体の詩だ、
全体の構成の詩だ、
青い海と緑の構成、
青い光と緑、これが下位の詩となる、
そして下位の詩たちの奇跡的な多様性は、
ただひとつの全体へと構成されるだけではなく、
全体の、部分の本質的圧縮の、
最後の環をぎゅっと引く円さの詩、

(Wallace Stevens, A Primitive Like an Orb)

Tuesday 15 July 2008

天体に似た原始人6(ウォレス・スティーヴンズ)

そして世界が中心的な詩に、それぞれが
他方の伴侶であり、それはちょうど夏が
毎朝、すべての長い午後、結婚するひとりの妻であり
また夏の伴侶でもあったようだった。彼女の鏡であり彼女の外見、
彼女の唯一の場所であり人物も、分離した
自己たちを糾弾しながら語る彼女の自己も、いずれもひとりなのだ。
本質的な詩が他の詩を生じさせる。その光は
丘の上にある別の光なのではない。

(Wallace Stevens, A Pritimitive Like an Orb)

天体に似た原始人5(ウォレス・スティーヴンズ)

よく慣れた大地と空、そして樹木と
雲、よく慣れた樹木とよく慣れた雲が、
かれらのそれらに対する古い用法を失うまで、
そしてかれら、つまりこれらの人々と、大地と空が、
互いに鋭い情報を、鋭い自由な知識を知らせ合うのだが、
それはそれまでは、そんなすべてを固くむすびつけていたものの
裂け目を隠していたのだ。それはまるで
中心的な詩が世界となったかのようだった、

(Wallace Stevens, A Primitive Like an Orb)

Monday 14 July 2008

天体に似た原始人4(ウォレス・スティーヴンズ)

ひとつの詩がもうひとつの詩と全体を証明する、
証明など求めてはいない透視力のある男たちのために
恋人、信者、そして詩人
かれらの言葉はかれらの欲望から選ばれた
言語のよろこび、それはじつはかれら自身。
これを使ってかれらは中心的な詩をことほぐ、
充足中の充足を、たっぷりとした
最終的な条件によって、しかもそれは
最大で、いっそう多くによってはちきれそうなのだ、

(Wallace Stevens, A Primitive Like an Orb)

天体に似た原始人3(ウォレス・スティーヴンズ)

どんな乳がそんな囚われにはあるのか、
どんな小麦のパンとからす麦のケーキなんかが、
森には緑の客がいてテーブルがあり歌を
心に抱いて、一瞬の動きのうちに、広がった
空間のうちに、こもった雷の
不可避の青が、まるで幻想であったかのように
そして、いつだって感覚が
把握するにはあまりに重すぎたかのように、
もっとも不分明で、遠くあるのは......

(Wallace Stevens, A Primitive Like an Orb)

Sunday 13 July 2008

天体に似た原始人2(ウォレス・スティーヴンズ)

私たちは詩の存在を証明しない。
それは何かもっとつまらない詩の中に見られ知られるもの。
それは巨大な、高らかな諧調で
少しまた少し、突然に
別の感覚を使って響きわたるもの。それはありそれは
なく、ゆえに、ある。この言葉の瞬間に、
アッチェレランドで寛容が動き、
存在を捉え、広くしーーそこにあった。

(Wallace Stevens, A Primitive Like an Orb)

天体に似た原始人1(ウォレス・スティーヴンズ)

事物の中心にある本質的な詩、
霊的なフィドル演奏が作るアリアが、
私たちの生の鋳鉄をむさぼり食った
私たちの仕事の鋳鉄も。けれどもね、みなさん、
それは困難な統覚なのさ、そんな
狡猾な目をしたニンフたちがもってきた貪婪な
善は、この本質的な黄金、
この幸運な発見物、かくも青ざめた空気の中の
かくも華奢な精霊が配列し再配列したそれは。

(Wallace Stevens, A Primitive Like an Orb)

Saturday 12 July 2008

コネティカットにある川の中の川(ウォレス・スティーヴンズ)

スタイジアのこちらに大きな川がある、
最初の黒い瀑布と
樹木らしい知性をもたない樹木のところにやってくる前に。

スタイジアよりずっとこちらにあるその川では、
水の流れそのものが陽気だ、
陽光の中でほとばしり、ほとばしり。その川岸では、

歩く影はいない。川は運命的だ、
最後のあの川のように。だが渡し守はいない。
彼は流れる力にさからって方向を変えることができなかった。

それはそれについて語る外見の下には
見えない。ファーミントンの尖塔が
輝きそびえ立ちハダムがきらめき揺れる。

それは光と空気をもつ第三のありきたりさ、
ひとつのカリキュラム、いきおい、局地的抽象......
それを、いまいちど、ひとつの川と呼べ、名前のない流れだ

空間にみちて、季節を映し、それぞれの
感覚のフォークロアであり、それを呼べ、くりかえし、何度でも、
海のごとくどこにも流れつかないその川を。

(Wallace Stevens, The River of Rivers in Connecticut)

七月の山(ウォレス・スティーヴンズ)

私たちが住むのはさまざまな
つぎはぎ(パッチズ)と調子(ピッチズ)からなるひとつの布陣、
ひとつの世界の中ではないのだ、
ピアノと言葉が音楽において、
上手に語る物事の内ではない、

詩の一ページがいうようにはーー
つねに始まりつつある宇宙に
最終的な思考を保持しない思想家たちだ、
ちょうど私たちが山に登るとき
ヴァーモントがひとつに集結するようには。

(Wallace Stevens, July Mountain)

Tuesday 8 July 2008

「諸国家の分裂」の時に(トマス・ハーディ)

 I
ただ土を耕すひとりの男
 ゆっくりと無言で歩く
その連れはつまずき頷く一頭の老いた馬
 どちらも眠ったようにのっそりと歩く。

II
ただ炎のない薄い煙が
 積んだカモジグサから立ち上る
こればかりはいつまでも変わらず続いてゆく
 王朝がいくつ交替しようとも。

III
むこうからひとりの娘とその男が
 ひそひそ話をしながらやってくる
戦争の年代記は雲に隠れ宵闇に溶けてゆく
 ふたりの物語が死ぬよりも先に。

 1915年

(Thomas Hardy, In Time of "The Breaking of Nations")

Friday 4 July 2008

白い香り(ロルカ)

ああ、ヒアシンスの香りは
なんて冷たいんだろう!
白い糸杉のあいだから
ひとりの乙女がやってくる。
黄金の皿に
切り取った彼女の二つの乳房を載せて。

(二つの道。
彼女の長い長い裾と
銀河。)

死んだ子供たちの
母なのだ
光の虫のごとく
浮かされ震えているのだ。

ああ、なんて冷たいんだろう
ヒアシンスの香りは!

(Federico García Lorca, Olor blanco)

Thursday 3 July 2008

散歩をするアデリーナ(ロルカ)

 海にはオレンジはない、
そしてセビーリャには愛がない。
浅黒い娘よ、なんという明るい炎だ。
きみの日傘を貸してよ。

 それが私の顔を緑色にする
ーーライムとレモンの果汁ーー。
きみのことばーー小魚たちーーが
あたりを泳いでいるよ。

 海にはオレンジはない。
ああ、恋人よ。
セビーリャには愛がない!

(Federico García Lorca, Adelina de paseo)

ヴィーナス(ロルカ)

  こんな風にきみが見えた。

 ベッドという貝殻で
死んでいる若い女、
花も微風も脱がされて
終わりなき光の中に現れる。

 取り残されたのは世界、
綿と影の百合、
ガラス窓から姿を見せた
無限の通過を見つめながら。

 死んだ若い女は、
愛を内側から渡ってゆく。
シーツの泡のあいまに
彼女の髪が見えなくなる。

(Federico García Lorca, Venus)

サンティアゴ市のためのマドリガル(ロルカ)

サンティアゴに雨が降るよ
恋人よ。
空気の白いカメリア
ぼんやりと輝く太陽。

サンティアゴに雨が降る
暗い夜に。
黒い草と夢が
からっぽな月を覆う。

道路の雨をごらん、
石とガラスの悲嘆だ。
哀切な風の中に
きみの海の影と灰を見たまえ。

きみの海の影と灰だ、
サンティアゴは、太陽から遠く。
遠い昔の朝の水が
私の心で震えている。

(Federico García Lorca, Madrigal â cibdá de Santiago)