Friday 29 February 2008

風景(フェデリコ・ガルシア・ロルカ)

オリーヴの木々の
野原が
扇のように
開いたり閉じたり。
オリーヴの林の上には
陥没した空と
冷たい星たちの
暗い雨。
イグサと薄闇がふるえる
河原で。
灰色の空気が波立つ。
オリーヴの木々は
叫び声を
背負っている。
囚われの小鳥たちの
群れが、
長い長い尾羽を
暗闇で動かしている。

(Federico García Lorca, Paisaje)

Thursday 28 February 2008

ギター(フェデリコ・ガルシア・ロルカ)

はじまる、ギターの
すすり泣きが。
夜明けのグラスが
こなごなに割れる。
はじまる、ギターの
すすり泣きが。
黙らせようとしても
むだだ。
単調な泣き声だ、
水の泣き声みたいに、
雪景色の上の
風の泣き声みたいに。
黙らせようとしても
むだだ。
遠い何かのために
泣いているのだから。
熱い南の砂が
白いカメリアを欲しがっている。
的を欠いた矢が泣く、
朝のない午後が
そして枝の上の
最初の死んだ小鳥が。
おお、ギター!
五本の剣により
ひどく傷ついた心。

(Federico García Lorca, La guitarra)

Wednesday 27 February 2008

沈黙(フェデリコ・ガルシア・ロルカ)

聞けよ、息子よ、沈黙を。
波打つ沈黙だ、
沈黙だ、
そこでは谷間やこだまが滑り
人々の額はどれも
うつむく。

(Federico García Lorca, El silencio)

Tuesday 26 February 2008

陽が沈んだ(フェデリコ・ガルシア・ロルカ)

          1920年8月

 陽が沈んだ。
       木々は
彫像のように考え込んでいる。
小麦は刈り取られた。
停まった水車の
何というさびしさ!

 田舎の犬が
ヴィーナス(美神=金星)を食いたがって、彼女に吠えかかる。
彼女は口づけ以前の野の上で輝く、
巨大なりんごのように。

 蚊たちーー露のペガサスたちーーが
飛ぶ、しずかな空気の中で。
光の巨大なペネロペが
明るい夜を編む。

 「私の娘たちよ、眠りなさい、狼が来るよ」
子羊たちが啼く。
「もう秋になったの、みんな?」
しおれた花がいう。

 羊飼いたちが巣をもってやってくるだろう
遠い山から!
小さな娘たちは古い宿の
戸口で遊ぶだろう、
そして家々は愛のコプラ(アンダルシア民謡)を歌う
もうとっくに
覚えてしまったそれを。

(Federico García Lorca, Se ha puesto el sol)

Monday 25 February 2008

星たちの時間(フェデリコ・ガルシア・ロルカ)

          1920年

 夜の円い沈黙が
無限の
五線譜の上にある。

 おれは裸で街路に出る、
失われた詩で
熟した状態で。
黒さが、コオロギの歌に
悩まされながらも、
音のあの
死んだ
鬼火をともしている。
魂が知覚する
あの
音楽の光。

 千の蝶たちの骸骨が
おれの囲いの中で眠る。

 狂った風たちの若さが
川の上を吹いてゆく。

(Federico García Lorca, Hora de estrellas)

Sunday 24 February 2008

樹木(フェデリコ・ガルシア・ロルカ)

          1919年

 樹木よ!
きみたちはかつて
青空から落ちた矢だったのか?
どんな恐るべき戦士たちが きみたちを射た?
星々がそうだったのか?

 きみたちの音楽は鳥の魂からやってくる、
神々の目から、
完璧な情熱から。
樹木よ!
きみたちの粗野な根は
土でできたおれの心臓を知るだろうか?

(Federico García Lorca, Arboles)

Saturday 23 February 2008

死(フェデリコ・ガルシア・ロルカ)

         イシドロ・デ・ブラスに


何という努力だ!
何という馬の努力だ
犬になるための!
何という犬の努力だツバメになるための!
何というツバメの努力だ蜂になるための!
何という蜂の努力だ馬になるための!
そして馬は、
何という鋭い矢を薔薇からしぼりだすんだ!
何という色褪せた薔薇がその下唇から立ち上がる!
そして薔薇は、
何という光と悲鳴の群れなんだ
その幹の生きた砂糖につながれて!
そして砂糖は、
何という小刀がその不寝番の中で夢見るのか!
そして小さな短剣は、
何という厩(うまや)なき月、何という裸が、
永遠の紅潮した肌をして探し求め行くことか!
そしておれは、軒下に
何という炎の天使を探し、またおれ自身そんな天使であることか!
だが漆喰のアーチは
何と巨大で、何と不可視で、何と小さいことか、
何の努力もしないまま!

(Federico García Lorca, Muerte)

Friday 22 February 2008

日曜の朝 8(ウォレス・スティーヴンズ)

彼女は聴く、あの音のしない水の上に、
こんな風に大声で話す声を、「パレスチナの墓は
ぐだぐたと霊たちが集うポーチではないよ、
それはイエスの墓だ、彼が横たわる場所です」
私たちは太陽の古い混沌に住んでいる、
あるいは昼と夜の古い相互依存に、
あるいは島の孤独、何にも頼らず自由な
あの広大な水にはばまれて逃れることのできない
鹿が私たちの山を歩き 鶉は私たちのまわりで
その自発的な叫びを口笛みたいに吹く。
甘いベリーが野生の中で熟す。
そして、空の孤立の中で、
夜、鳩のありきたりな群れが、
曖昧なうねりを作り出すのだ、
暗闇へと沈みながら、翼をいっぱいにひろげて。

(Wallace Stevens, Sunday Morning 8)

Thursday 21 February 2008

日曜の朝 7(ウォレス・スティーヴンズ)

しなやかで荒々しく、男たちが輪をなして
ある夏の朝、ばかみたいに歌い狂うことだろう
神としてではなく、しかし神ならそのようにもあるかという
風にかれらに囲まれて裸でいる、まるで野蛮な源泉のような
太陽への、かれらのにぎやかな献身を。
かれらの歌は天国の歌となるだろう、
かれらの血から出て、空へと帰ってゆくのだ。
そしてかれらの歌には、そのひと声ごとに、
かれらの主がよろこぶ風の吹きすさぶ湖が、
あるいは大天使のような木々が、こだまの響く丘が入り、
ずっと後になってもそれらはそれらで合唱をつづける。
かれらにはよくわかっていることだろう
いつかは死んでゆく人間と夏の朝の天国のような友愛が。
そしてかれらがやってきた場所も、かれらの行方も
かれらの両足についた露が明らかにしめすことだろう。

(Wallace Stevens, Sunday Morning 7)

Wednesday 20 February 2008

日曜の朝 6(ウォレス・スティーヴンズ)

天国では死による変化はないのだろうか?
熟れた果実も落ちない? あるいは枝が
あの完璧な空にいつも重く垂れ下がり、
変わることなく、でもやはり私たちの崩れつつある地上に似て、
川は私たちの川とおなじく海を探しては
けっして見つからず、われわれのものとおなじく遠ざかる岸辺が
言葉ではいいあらわせぬ痛恨をもたらすこともないのか?
なぜそんな岸辺に梨を盛ったり
あるいは岸辺をプラムの匂いで飾ったりするんだ?
あーあ、あっちでかれらがこちらとおなじ色や、
私たちの午後とおなじ絹織物を身につけたり、
われわれの無味乾燥な竪琴の弦をつまびくとは!
死こそ美の母、神話的な、
その燃える乳房のうちに 私たちは地上のわれらが母たちを
作り上げる、眠りもないままに待つ彼女らを。

(Wallace Stevens, Sunday Morning 6)

Tuesday 19 February 2008

日曜の朝 5(ウォレス・スティーヴンズ)

彼女はいう、「でも満足はしていても私はまだ感じている
何か不滅の祝福を必要としていることを」
死は美の母。したがって死から、
ただそれだけから、私たちの夢や欲望への
満足はやってくるのだ。彼女、死は、たしかに私たちの
小径に確実な抹消の木の葉をまきちらす、
いやになるほどの悲しみが支配する小径、あるいは
勝利が金属音のフレーズを鳴らしたり、愛が
そのやさしさによりちょっとだけささやいたりした小径だ、
彼女は柳に陽射しの中でも身ぶるいさせる
腰をおろし足を投げ出してじっと
草を見つめることに慣れている娘たちのせいで。
彼女にうながされて少年たちはプラムや梨を
捨てられていた皿に新しく盛る。娘たちは味わい、それから
熱烈に迷いこんでゆくのだ 散らかった落葉の中に。

(Wallace Stevens, Sunday Morning 5)

Monday 18 February 2008

日曜の朝 4(ウォレス・スティーヴンズ)

彼女はいう、「私は満足だわ、目覚めた鳥たちが
飛び立つまえに、霧のかかった野原の現実を、
かれらの甘い問いかけで試すとき。
でも鳥たちが去って、かれらの暖かい野原が
もう戻ってこないとき、そのとき天国はどこにあるの?」
予言がつきまとう場所もなく、
墓の古いキマイラも一切なく、
黄金の地下もなく、霊たちが住処を見出す
美しい旋律の島もなく、
あるいは幻想の南も、
四月の緑が続くように続いた、
天国の丘にある遠い曇った椰子もない、
あるいは彼女が目覚めた鳥たちに似ているように続く、
あるいは六月と完成したツバメの翼によって転覆させられた
夜を求める彼女の欲望のように続く。

(Wallace Stevens, Sunday Morning 4)

Sunday 17 February 2008

日曜の朝 3(ウォレス・スティーヴンズ)

ジョヴは雲の中で非人間的に誕生した。
お乳をくれる母親はなく、どんな甘美な土地が
彼の神話的な心に鷹揚な身振りを与えたのでもなかった。
彼は私たちのあいだを動いた、つぶやく王さまとして、
堂々と、作男たちのあいだを歩くのだった、
やがて私たちの処女の血が天と
混じり合い、まさにその作男たちが一個の星の
うちに認めるような、欲望への返礼をもたらすまで。
私たちの血では足りない? それともそれは
天国の血となる? そして大地は私たちが知るであろう
天国のすべてだと見えるようになるのですか?
そのとき空はいまよりずっと人なつこくなって、
労働の一部となり痛みの一部となり、
栄誉にかけては永続する愛につぐものとなるはずだ、
この分断する 無関心な青ではなく。

(Wallace Stevens, Sunday Morning 3)

Saturday 16 February 2008

日曜の朝 2(ウォレス・スティーヴンズ)

なぜ彼女は死者に恵みを与えたりするんだ?
神とは もしそれが沈黙の影としてか夢の中でしか
来ることができないのであれば いったい何だ?
彼女は太陽がもたらすなぐさめとか、
つんとくる果実とか明るい緑の翼とか、あるいは
大地の何らかの芳香や美のうちに、
天国という思念みたいな大切にしたい何かを発見しないのか?
神は彼女自身のうちに生きるしかない。
雨の情念とか、あるいは降る雪の不機嫌とか。
さびしさのうちの悲嘆とか、森が
花咲くときの弾けるようなよろこびとか。秋の
夜の濡れた道路で吹きすさぶ感情とか。
すべてのよろこび すべての痛みだ、夏の
大枝と冬の小枝を思い出しながら。
彼女の魂を計るには、こういったものが使われる。

(Wallace Stevens, Sunday Morning 2)

Friday 15 February 2008

日曜の朝 1(ウォレス・スティーヴンズ)

なんともひとりよがりな部屋着、日向の椅子に
すわって遅いコーヒーとオレンジ、
そして敷物の上のオウムの緑色の自由の
すべてが入り交じって 追い散らすのだ
古代の供儀の聖なる沈黙を。
彼女はわずかに夢見る、あの古い
カタストロフィが暗く浸食してくるのを、
水の光の中でひとつの静寂が暗くなるにつれて。
つんとくる匂いのオレンジと明るい緑の羽根は
どこかの葬礼の行列に参列しているもののようだ、
広大な水を超えて蛇行してゆく、音もなく。
その日それ自体が広大な水のようで、音もなく、
彼女の夢見る両足の通過のために静止させられているのだ
海を越え、沈黙のパレスチナにむかって、
血と墓の所領にむかって。

(Wallace Stevens, Sunday Morning 1)

Thursday 14 February 2008

お茶(ウォレス・スティーヴンズ)

公園の象の耳が
霜にしおれて
小径の落ち葉が
ねずみのように走ったとき、
きみのランプの明かりは
輝く枕に落ちる、
海の色合い、空の色合いをもって
ジャワの雨傘のごとく。

(Wallace Stevens, Tea)

Wednesday 13 February 2008

人生と心の瓦礫(ウォレス・スティーヴンズ)

身近で暖かいものなどわずかにしかない。
まるで私たちが子供だったことなどなかったかのようだ。

部屋にすわりなさい。月光の中では真実だ
私たちが若かったことなど一度もなかったかのようだということが。

私たちは目覚めているべきではない。これから
明るい赤の女が立ち上り

激しい金色の中に立ち、髪にブラシをかける。
彼女は考え深く ある一行のせりふをいうだろう。

彼女はかれらのことをあまり歌えないやつらだと考えている。
そもそも、空がこれほど青いときには、事物はみずからを歌う、

彼女のためにすら、すでに彼女のために。彼女は耳を傾け
彼女の色こそひとつの瞑想なのだと感じる、

きわめて陽気でありつつ かつてほど陽気ではない。
ここにいなさい。よく知った事物のことをしばらく語りたまえ。

(Wallace Stevens, Debris of Life and Mind)

Tuesday 12 February 2008

あらし(ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ)

完璧な虹だ! 大きな
弧が北の空に低く
黒い湖の上にかかり

湖面では小さな波が荒れ
そこに 町の南にいる
太陽が冷たく

風にさからえない裸の丘越しに
陽光を投げかける
風は何も目覚めさせないが

傾いた二、三本の煙突から
煙を吹き飛ばし 煙は激しく
南へとたなびいている

(William Carlos Williams, The Storm)

Monday 11 February 2008

カラスムギが刈り取られたとき(トマス・ハーディ)

カラスムギが刈り取られたあの日、小麦は熟し、大麦は熟しつつあり、
 道の土ぼこりは熱く、草は乾き色褪せ、
  私はしばらく歩いてから、すぐ先にある
沈黙する人々が横たわる場所を見つめて言った。

「あそこにいる人をおれは傷つけた、おれが彼女を傷つけたって今ではちゃんとわかっている。
 でも、ああ、彼女は知らないんだ、彼女もおれを傷つけたことを!」
  それでも空気は微動もせず、
どんな鳥のくちばしも動かず、彼女は返事をくれなかった。

 1913年8月

(Thomas Hardy, When Oats Were Reaped)

Sunday 10 February 2008

列車に乗った意気地なし(トマス・ハーディ)

朝の九時にひとつの教会が通過した、
十時には浜辺が私を行き過ぎた、
十二時には煙と煤の町が、
二時には樫と樺の森が、
  そして、ある駅のプラットフォームに、彼女、

まばゆい未知の人だ、彼女が見ていたのは私ではなかった、
私はいった、「彼女に会うために降りてゆこうか、勇気を出して!」
でも私はすわったまま口実を探していて、
車輪はそのまま進んだ。ああもしあのとき
  あそこに降りることができたなら!

(Thomas Hardy, Faintheart in a Railway Train)

Saturday 9 February 2008

息(ピエール・ルヴェルディ)

 私の屋根の上に、木々の上に、雪が降っている。壁と庭は白く、小径は黒く家は音もなく潰れた。雪が降っている。

(Pierre Reverdy, Souffle)

マグニフィコの隠喩(ウォレス・スティーヴンズ)

二十人の男が橋をわたって、
村に入ってゆくというのは、
二十人の男が二十の橋をわたって、
二十の村に入ってゆくことか、
あるいは一人の男が
ひとつの橋をわたってひとつの村に入ってゆくということだ。

こんなのは古い歌で
みずから名乗りを上げたりはしない...

二十人の男が橋をわたって
ひとつの村に入ってゆく
それは
二十人の男がひとつの橋をわたって
ひとつの村に入ること。

それはみずから名乗りを上げることはないが
確実な意味がある...

男たちのブーツは橋の
板の上でどんどん音を立てる。
村の最初の白い壁は
果実のなる木々を抜けて立ち上がる。
私は何を考えていたんだろう?
これで意味は逃げてゆく。

村の最初の白壁...
果実のなる木々...

(Wallace Stevens, Metaphors of a Magnifico)

Friday 8 February 2008

あっさりと(トマス・ハーディ)

それがきみのやり方だったね、
ひとこともいわずに姿を消すのが
訪ねてきた友人とか親戚なんかが
帰ってゆき、おれが急いで中に入って
きみのところに戻るつもりでいても。

そしてきみがどこかーーたとえば町にーー
急いで出かけるとなると
きみはあっというまにいなくなった
おれがそんなこと思いもしないうちに、
きみのトランクが出しっ放しだと気づきもしないうちに。

それで今、きみがそんな
すばやいスタイルで 永遠に消えてしまった今、
きみがいいたいことはおれには
昔どおり ちゃんとわかるよ
「さよならなんてわざわざいうほどのことじゃないわ!」

(Thomas Hardy, Without Ceremony)

Thursday 7 February 2008

遺伝(トマス・ハーディ)

私は家族の顔。
肉は崩れても、私は生き延びる、
時を超えて たゆむことなく
顔つきや線を投射し、
場所から場所へと
忘却を超えて跳んでゆく。

歳月を超えてうけつがれた容貌は
輪郭と声と眼において
人間の生涯の時間など
意にも介さない。ーーそれが私。
人の中の永遠なるもの、
死の呼びかけを平然と無視するもの。

(Thomas Hardy, Heredity)

Wednesday 6 February 2008

ロマンスの言い換え(ウォレス・スティーヴンズ)

夜は夜の歌のことなど何も知らない。
それはただそれだ 私が私であるように。
そしてこれを知覚することにおいて私はもっともよく私自身を知覚する。

きみのことも。ただわれわれ二人はお互いに
相手においてお互いがさしだすものを交換できるかも。
ただわれわれ二人だけがひとつなのだ、きみと夜ではなく

夜と私でもなく、きみと私が、二人だけが、
あまりにも孤独で、あまりにも二人きりで、
あまりにもありきたりな孤独を超えていて、

夜とはただ私たちの自己の背景にすぎず、
私たちはお互いに分離した自己にすばらしく忠実なのだ、
かすかな光の中でお互いがお互いに投げつけ合う自己に。

(Wallace Stevens, Re-Statement of Romance)

Tuesday 5 February 2008

黙っている男との絶えまない会話(ウォレス・スティーヴンズ)

老いた茶色いめんどりと老いた青空、
両者のあいだで私たちは生き、かつ死ぬーー
丘の上の壊れた荷車の車輪。

あたかも、海を前にして、
網を干し帆をつくろって
終りなき物事のことを話しているかのようだ、

終りなき意志の嵐について、
ひとつの意志と数多くの意志の、そして風、
葉叢の中の数多くの意味の、

軒下の一枚の葉へと引き下げられた意味の、
それはその嵐を、農場へと、
トルコ石色をしためんどりと空の連鎖へと、

そして荷車が通過する際に壊れてしまった車輪へと、
むすびつけるもの。軒下にあるのは声ではない。
言葉ではないのだ、われわれがこの

会話の中に聞くのは。そうではなくて
事物とその動きの音。もう一人の男、
トルコ石の怪物が動きまわる音。

(Wallace Stevens, Continual Conversation With a Silent Man)

Monday 4 February 2008

のどを痛めていた男(ウォレス・スティーヴンズ)

一年のうち今がいつかはどうでもよくなった。
夏の白カビもしだいに深くなる雪も
私が知っている日課の中では似かよっている。
私はあまりにも無言で自分の存在に閉じこめられている。

夏至や冬至につきものの風が
各地の首都のシャッターに吹きつける、
眠っている詩人を動揺させることはなく、村々で
大げさな想念を鐘のように鳴らす。

日常生活の病......
おそらく、もし冬がいちどでも
そのあらゆる紫をつらぬいて、凍てつく靄の中で荒涼と
耐える最後のスレートの屋根板にまで達するなら

そのとき人はより少なく臆病になって、
そんな白カビからも よりきれいなカビを引き抜き
寒さの新しい式辞を噴き出すのかもしれない。
そうかも。そうかも。だが時が態度をやわらげることはない。

(Wallace Stevens, The Man Whose Pharynx Was Bad)

Sunday 3 February 2008

ウォルドーフへの到着(ウォレス・スティーヴンズ)

グアテマラから帰り、ウォルドーフに着く。
魂の野生の国への到着において
すべての接近は失われているのだ、完全にそこにいることで、

そこでは野生の詩が代理となる
愛している あるいは愛すべき女の、
ひとつの野生のラプソディーが もうひとつのそれの偽物となる。

きみはホテルにふれる まるで月光にふれるがごとく
あるいは陽光に そしてきみがハミングすればオーケストラも
ハミングし きみはいうのだ「詩句の中の世界、

封印された一世代、山々よりも遠い人々、
音楽と動きと色彩の中で見えなくなっている女たち」
あの異質で、あからさまで、緑で、現実にあるグアテマラの後では。

(Wallace Stevens, Arrival at the Waldorf)

Saturday 2 February 2008

読者(ウォレス・スティーヴンズ)

一晩中 私はすわり本を読んでいた、
すわって読んでいた まるで
暗いページの本を読むように。

秋で 降る星々が
月光の中にしゃがみこむ
しなびたかたちを覆っていた。

私が読むあいだランプは燃えていなくて、
何かの声がつぶやいていた、「すべては
冷たさの中に帰ってゆくのだ、

葉の無い庭園の
じゃこうの匂いのするマスカディンだって、
メロンや朱色の梨だって」

暗いページには印刷がなく
あるのはただ凍った天の
燃える星たちの軌跡のみ。

(Wallace Stevens, The Reader)

Friday 1 February 2008

おれはひどく恐いんだ......(セサル・バジェホ)

おれはひどく恐いんだ、白い雪の
獣になることが、その血流のみにより父親と
母親を養い、このすばらしい、太陽的な、大司教みたいな
一日、こうして夜を代演する一日に、
この獣は満足することも、呼吸することも
変身することも、金を稼ぐことも
線的に
回避する。

おれがもしそれほどまでに男であったなら
恐るべき苦痛だろう。
でたらめだ、多産な前提だ
その偶然のくびきに
おれの腰回りの精神的な蝶番は負ける。

でたらめだ... 一方、
神の頭のこちら側では、こうなのだ、
ロックやベーコンの図表では、家畜の青ざめた
首すじでは、魂の鼻面では。

そして、かぐわしい論理においては、
私はこんな実践的な恐れをもっている、この
すばらしい、月的な一日に、そいつであること、というか
こいつであること、その嗅覚にとっては地面も、
生きたでたらめも死んだでたらめも死者の匂いがするような。

ああ、のたうち、ころげ、咳をし、ぐるぐる巻きだ、
教義も、こめかみも、肩から肩までぐるぐる巻き、
立ち去り、泣き、さあさあ八つでいいから持ってけよ
あるいは七、六、五つ、あるいは
三つの力をもつ人生にまで、負けといてやるさ!

(César Vallejo, Tengo un miedo terrible...)